酔記

美に殉死 愛の闘争

秋川の死

翌朝、私と秋川は六時ごろに宿を出て、まだ日の上りきらぬ道路沿いを散歩することにした。部屋に上着を取りに戻った秋川を外で待ちながら、私は植え込みの葉の縁を指でなぞっていた。昨夜の出来事は一体何だったんだろう?この朝の冷気が何もかも薄めてくれやしないだろうか?私は日常の中に眠る非日常性にいつも心惹かれていたが、今回ばかりは少し手に負えないようであった。

 

「すまぬお待たせした」

「いやいや。それじゃあっちの方に行こうか」

北国の初夏の空は、シャボン玉の膜のようにどこまでも広がっていくようで、私たちはどこかおぼつかない気持ちに襲われた。そのシャボン玉のドームの中に、私たちの足音が波紋となって吸い込まれていく。

いつの間にか沈黙を恐れなくなった。思うに、沈黙そのものが気まずいのではなく、沈黙が自らに潜む気まずさを露呈するのだ。悪戯を犯した子どもが、親の沈黙に耐えられず自供するように、沈黙の裡に自ずと自己との対話は始まり、人はその罪の意識から顔を背けることができなくなるのだろう。したがって、同じ沈黙を共有していても、片方は気まずく汗をかいているのに、もう片方はというと安心しきっているなんていうこともある。

 

交差点のそばに、住宅の隙間を埋めるように小さな公園があった。たんぽぽがよく咲いていたので、私たちはそこに寄り、秋川はいくらかたんぽぽを摘み始めた。

 

「志田は」

たんぽぽに首を傾げながら秋川が沈黙を破った。私は、のぼってきた朝日が照らす秋川の尖った鼻に見とれているところだった。

「志田は、何を想って日頃自慰をするんだい」

「朝っぱらからよしてくれよ」

「俺は」

秋川は言葉を続けた。

「俺は、壁を眺めてするようにしている」

私は笑った。

「そんなことがあるかい。どうせ壁を見ながらも淫らな妄想でもしているのだろう」

「君ならそうするのか」

秋川は困惑したようだった。困惑するのは私の方だというのに。

「俺は、俺が嫌なんだよ」

「一体何が言いたいんだい」

秋川はたんぽぽを弄りながら、訥々と話し始めた。

「俺は、人間を肉塊に貶めるこの性欲が、憎い。日頃人間の心にあらゆる感情を揺り動かされ、その根源たる人間らしさそのものに永遠の愛を誓うこの俺が、一方では習慣のように女性を肉塊とみなし、その肉塊たる女に欲情し、心の内で凌辱しているわけだ。女性が女性の肉体を持っているというただそれだけの事実によって、その人間を俺はごみのように消費しているわけだ。絶え間ない衝動と後悔の波の末に、俺はこれ以上女性を消費しないことを誓った。自慰なんていうのは、己の快楽のためだけに無意味に他者を蹂躙する野蛮な行為に違いないのだ。生理機能としての自慰行為自体は認めよう。されば、他者を消費しない自慰行為こそが善なのであって、鏡か壁かの二択において俺は壁を選んだのだ」

そこで一瞬言葉を切ると、さらに秋川は続けた。

「ところがだ、長い訓練の末に壁で達することのできるようになった俺はどうなった?俺は、欲情可能な他者の領域を拡張したに過ぎなかったのだよ!依然女性を見れば衝動は生ずるし、おまけに家、草木、動物、夥しい数の物体、他者への欲望に、俺の日常は侵食されてしまったのだ。物体を見てそこに女性を想起するのでは決してない。物体の存在そのものに対して欲情するようになってしまったのだ。裸神に包まれた生活などというものではない。果てしない幻惑、有限の肉体、無限の心。わかるかい、狂気だよ、狂気。俺に残されたものは狂気的な世界なんだよ。これを閉め出すには、俺自身を、世界から閉め出すしかないのだよ」

ぼんやりとたんぽぽを眺めながら秋川はつぶやいた。

「今宵、俺は死のうと思っている」

冗談はよせと私は笑って返した。真剣に止めるだけの資格が私に果たしてあるのかわからなかった。ただ、彼が微笑んだので私は安堵した。

 

しかしその晩、秋川は本当に死んだ。

 

 

秋川が当初思っていた他者の消費は、すなわち他者の肉体の搾取は果たして悪なのか?秋川が行った、そして男ならだれもが行うであろう肉体的行為は、その精神によって非難されるべきものなのか?肉体と精神は分離できるものなのか?ありとあらゆる言葉の中で、人間は動物としての存在からの解放を説いているようだし、精神と肉体、理性と本能を切り離して、前者の美徳を描いてきたようだ。その方がわかりやすいし、たぶん美しいのだろう。心、心、心の道徳。肉欲の徳なんて何一つ教えちゃくれない。せいぜい愛の蓑に押し込む程度じゃないか。そのせいで秋川は狂い、死んだ。肉欲なんてものは畢竟肉体がある限りこの肉体から消えないじゃないか。人間なんて、動物の、毛すら生えていないような存在なのだ。拒絶と快楽の狭間で行き場を失った人間は、みなが秋川のような道を辿らないとはいえ、どこにゆきつくのかを考えると、私の胸は重く鬱ぐのであった。






葬儀はあっさりとしたものだった。棺の中の秋川は、私にとっては白い蝋人形か何かのようにしか見えなかった。ただその尖った鼻は私の知っている秋川を思い出させるのに十分であった。死後も髭って伸びるんだよなと思いながら、花束を棺の中に置いた。


一緒に旅をしていた森口と城島は目を真っ赤にしていた。帰る頃には雨が降り始めていた。


「あいつ、なんで死んだんだよ」

城島の声と雨音がぶつかり合う。私は、あの朝彼が私に話したことを、辿々しく彼らに伝えた。前夜、同じ部屋で寝ていた私と秋川の間に何があったかは、ついぞ言わずにいた。

「許せねえや」

城島が再び啜り泣く。

許せない——死は罪なのだろうか?自己中心的なのだろうか?誰もが生まれることを望まずして、何も知らずに、生まれてくる。偶然手にした人生をどうするのかは、せめてその人の自由なのではないかと私は思っていた。死も生き様の一つ、されど死の明確なその特徴として、もう誰の手にも届かない所に行ってしまうということがある。

誰も秋川にはもう会えない。話せない。

もういないのだから。

死とは、ただそういうものである。

死は罪ではない。ただ我々が黙々と向かっている場所である。にもかかわらず、私たちは死を認めながら死に抗い、そして生を称揚することを求められている。

「死ぬって、そういうことなんだよ」

私は彼を慰めようとしたが、森口にすかさず叱られた。

「志田はよくそういう物の言い方をするが、本当は語尾にI believeを付けるべきなんだぜ。もちろん、城島も、俺も、他の人たちも。あと今のは少し残酷だったよ」

これは全くその通りだと納得したので、深く頷いた。誰しもが、自分だけの真実を抱えて生きながらえている。人生は、求めた訳でもなく、ただそこに横たわっている存在なのだ。構造を簡易にすれば、死への道ということになる。その道を踏み外さぬようにするためには、私たちは自分の真実を信じて生きてゆくことしかできないのかもしれない。


その後は、秋川の話をすることはなかった。雨の音に身を任せて、私たちは駅までの道をゆっくりなぞるように歩いた。