酔記

美に殉死 愛の闘争

近況報告(抜粋)

お久しぶりです。


今、大学のキャンパス間を走る学内バスに乗っているのですが、雨粒で滲む窓外に、赤やピンク、白に咲き乱れるツツジが大量に佇むのが見えます。あまりにも鮮やかでほとんど人工的な不気味さすら覚えるようなこの天然の造形物を眺めながらも、地球上の色彩とそれを特異的に受容する生物の眼球について深い思いを巡らすことができないまま、感嘆と疲労の溜息を溢しております。

バス停までの道中、膨れ上がった死にかけのミミズを目にしました。死は、なんとありふれたものなのでしょうか。昨晩は、侍の忠信と葛藤に満ちた白刃を受けて、地に臥す夢を見て目が覚めました。童が大事な儀式に乱入してしまい、彼の保護者が儀式の守衛に斬られそうになったのでそれを庇わんと思わず飛び出したものの、このような人情に対して彼は刀を下ろさぬだろうという心の奥にひっそり抱いていた期待、希望は裏切られ、君主への忠誠を守るため、苦悶と葛藤に顔を歪めながら侍が振り下ろした一刀の元、私は殺されたのでした。刀は一見ゴムベラのような見た目で、それで安心した節もあったのでしょうが、手に受けようとしたその柔らかい白いゴムベラの痛いこと痛いこと。無様に痛い痛いと叫ぶうちに身体中の感覚がふっと抜け落ちて、目が覚めたわけです。

この夢によって私が何か深い洞察を得たわけではありませんが、ミミズの死を見て、たまたま思い出したのです。

おや、バスがそろそろ到着しそうなのでここで一度筆を置きます。





なぜ学内バスに乗っていたのかということを切り口に近況報告を始めようとしていたのですが、夢の話でバスの貴重な時間が終わってしまった。今更単刀直入に言いますが、研究者はやめて教師を目指すことにしたのです。

昨年の春に、性への興味から受精の研究に従事したいと考え、わざわざ愛する京都を離れて大阪の大学院までやってきたのですが、いざ研究を始めるとどうも違う。まあ人生というのは期待と裏切りの連続が常について回るのでしょうが、期待を否定しては人間の生きる活力というものも減衰してしまうのではないでしょうか。とにかく、時に可愛らしく時に憎たらしいネズミたちを、毎日のように自分の手で殺処分する中で、研究をする主体としての自己に、そして人類の科学のこれ以上の発展に対して、私は懐疑心を抱くようになってしまったのです。そうして就職活動というものに足を踏み入れてみたもののこれもやはり違う。資本主義について私は全くの無知ですが、金が何につけても根幹となってくるまでに複雑化したこの社会のシステムに私はすっかりゲンナリしてしまいました。金が生きるために必要なことは十分にわかっているつもりですが、社会のシステムにゲンナリするのは私の勝手だと思い込んでおります。昨年私が煙草を吸ったり耳に穴を開けたりするたびに、東京の実家では母親が憤怒心配して家族会議となっていたようですが、この件も問題となり父親が先日説得のため派遣されたのです。ところが話してみると父親も同感してしまった。さてでは放蕩息子の道を突き進むかあるいは遁世するかというとそういうわけにもいかない。働くとは何なのか、どの仕事に就くのか、企業研究以前の大きな問題をこの歳になってようやく考えるうちに、教師という選択肢が現れ、あたかも初めからそこにあったかのように、日に日に膨張していきました。思い返すと、昔から時折教師に憧れる瞬間はあったのですが、学部時代に実験と教職の授業が被って以来諦めていたのです。私が教師という職業に惹かれる理由は、色々言葉にしてみるものの、結局のところうまく言葉にできませんし、できたところで実際に働き始めたらまた色々と違うのでしょう。それでも今現在の私が、直感的にそこに向かうことを望んでいるので、やれるだけやってみようという次第です。どうやら私がこれまでしてきた大きめの決断の多くは、こうした直感に基づいているようです。尤も、修士二年から教職をまた目指すのはいささか遅く、履修交渉だの研究室との両立だの卒業後のブランクの一年間の発生だの色々面倒な壁は多いわけですが、平日は学部一年生ばかりの教室と他学研究科の教室と研究室をバスで毎日往復し、土日も研究室に通うなどしながらなんとか踏ん張ろうとしております。



そんなわけで新学期開始以来なかなか趣味に費やす時間がないのですが、人生に対する喜びをどこから摂取しているかというと、ウイスキー、ファッション、読書、音楽、そして京都の鴨川で友人と過ごす時間であります。



ウイスキーは、語源からもわかるように、まさしく生命の水です。元々飲みたいと思い続けて飲み始めたウイスキーですが、ウイスキーを通じて不思議と数々の縁に導かれた数年間でした。

京都市左京区に、白馬亭という場所があります。これは白馬亭亭主のかつての住処であった、八畳ほどの小さいアパートの一室を、何人かの亭員がカンパして借り続け、文化人奇人呑兵衛学生おじさんおばさん大学教員さまざまな人たちが集い、鍋を食らい酒を飲み煙草を吸い歌を歌い、時には鴨川なんかに繰り出したりしながら、人生のひとときを共にするコミュニティなのです。かつてエディンバラに白馬亭という酒と宿を提供する旅館があったそうな。ピーターマッキーが作り出した素晴らしきウイスキー、ホワイトホースは、この宿の名に由来するそうですが、もちろん京都の白馬亭でも愛飲されています。

さてこの白馬亭、百人以上が出入りしている非常に大きな界隈なのですが、白馬会が開催される夜には十数人が集まり、狭い部屋で円卓を囲んでただ夜を共に過ごすわけです。正直この時間の美しさを私は言葉に落とし込むことができない。京都を離れる頃から白馬亭との距離が縮まり始め、たまに顔を出したりするわけなのですが、人と人生との縁の素晴らしさに毎回溺れております。ウイスキーウイスキーがつなぐ人の縁、これに尽きます



ファッション。相変わらずスーツが好きなのですが、年明けにオスカーワイルドのことを知って、その美に対する執着、退廃、耽美的思想行動に、共感のあまり自分が彼の生まれ変わりではないかと思ったほどでした。昨年の厳しい生活の中で、ただ生きるということには、食って寝るということが、生活が、必要であると気づき、「生活者」としての認識を持って日々生きることの重要性を感じるようになりました。そして願わくば生活そのものを美としたい、私の肉体そのものを作品としたい。着る服、食べるもの、部屋の内装、自分自身の肉体、こうしたものに一定の好みや意志を発揮しながら過ごすことの味を最近噛み締めています(尤も、美たらしめんとせずとも、生活とはただ存在するものであり、その存在自体が美しいのです)。



読書といえば、もうすぐ坂口安吾堕落論(角川文庫)を読み終えそうです。日々のバスの中で少しずつ読み進めているのですが、うんうん唸り頷きながら読み、一章終わるごとにバス内でため息をついて天をしばらく仰いでしまう。これほど本で思想的に共感したことはおよそなかったのではないでしょうか。かつて人間の愛を純粋に信じ、愛に全てを託そうとしていた私は、この一年ですっかり人間や社会が嫌になってしまい、救いようのなさに絶望、苦悶、悲嘆しておりました。この絶望は、先ほどの耽美的嗜好に繋がる面もあったのかもしれませんが、どうも教師の志望にも通じているような気もする。ただ絶望しているからと言って、そこから離れることを意味するわけでもないのです。むしろこの絶望は、人間や世界への認識の転換であって、それらが救いようもないほど醜く気持ちの悪いものであるからこそ、なおさらどうしようもない美しさを湛えるのです。愛は絶望から蘇るのです。堕落論にもまさにそのようなことが書かれていた。坂口安吾の指摘に私自身が突き刺されることも多々あったものの、こんな本が存在したことに私はひたすら感謝していました。

昨年から知人友人が悉く堕落論を褒めていたので、縁と思って読んでみたもののここまでやられてしまうとは想像していませんでした。ノックダウンです。



音楽。最近は作曲する元気も時間もありませんが、「デルタの風」という鴨川デルタの歌を作ろうとしているところです。昨年は「ウヰスキーにつつまれ」という歌を作り、非常に拙劣な歌唱ながらもユーチューブ に投稿してみたので酔っ払った時にでも聞いてみてください。

あとは日々ビルエバンスとオアシスを最も好んで聴いています。




最後に、京都。




京都、京都、京都……。





京都にて学生時代を過ごしてしまった人は一生京都の魔力に呪われるというが、今の所の私は完全にそれです。アレほど美しい町が、他にあるでしょか?いや、きっとあるのでしょう、しかしながら私はこの四半世紀あの町のような美しさを他の街に見出したことはありません。鴨川の川幅、デルタの存在、数多くの素晴らしい銭湯、小さな河原町、夜の祇園、朝の出町柳、喫茶店の数々、そして春夏秋冬朝昼晩いつだって鴨川……全てが奇跡なのです。人々のノスタルジヤをこんもりと包み込んで、鴨川が生活のそばを流れるあの町は、本当に奇跡なのです。京都に、鴨川のそばに住まねばならぬ。これが私の今の強い決意です。京都を愛しながら各地に散ってしまった友人たち、各地に住みながら京都を愛する友人たち、京都を愛し京都に住み続ける友人たち、これから京都を愛することになる友人たち、彼らと京都で、鴨川で過ごす時こそ、私は生きる喜び、生まれてきた意味を骨の髄から感じるのであり、将来彼らと集まるために、そしてもっともっと京都を愛するために、私は京都に住みたいのです。

京都の高校で生物を教え、鴨川で休日を過ごし、退職後は小さな喫茶店か酒屋をやって、友人やかつての生徒たちと過ごす、それが目下の贅沢な夢です。



なんだかんだ大阪に行ってからも京都には毎月数回帰っており、毎週来てない?と何人に尋ねられたことでしょう。夜風も夏めいてきて、いよいよ鴨川でビールを鯨飲する時期がやってきたなと心躍るのです。まずはゴールデンウィーク、そして夏に鴨川で大事な人たちと過ごすのを楽しみにしております。