風の粒が、額から、腕から、当たっては砕ける。それはあたかも連続であるようで、非連続性に対して不感になるのが恐ろしく、また、興醒めでもある。
実際のところ、粒がどこまで浸透し、どこで砕けるのかは私には分からない。
懸念すべきは、なぜ砕けるかなのだ。死にゆく我々の表層において、或いは内部において、いずれにせよ貫通することなく。
いっそ、貫通してくれと魂は叫ぶ。物差しにインクが残るような日々、この人生に、一時の安寧を颯爽と齎すように見えて、本音では蔑み嗤うような粒なのだ。
だが果たして、それすら真実だろうか?
畢竟私の独善に過ぎず、全てはまた夢と現とを織っているだけではなかろうか?
その微小なる糸の隙間に、ただ吸い込まれることを、知るのみなのであれば……。
溶けるのも、厭わぬ。形に憩いを求めるのも、もう辞めよう。ただ人生と私との間に境界を求める限り、この果てしない導線は、湿り続けるのだ。蹲る炎はまた、来る日まで、虚栄に浸りながら疾走するのだ。