酔記

美に殉死 愛の闘争

ジャズの静脈

音楽、匂い、記憶。どうしようもないものだ。潮の満ち引きのように。

僕らの意志の及ばぬところにある。神の戯れか、ちっぽけな脳、有限の神経細胞、そこに揺らめく記憶、想い出は無数。いつ甦るのか、或いは甦ることなく死を迎えるのか。

母の顔、父の顔。ミトコンドリア。苦かった珈琲。細胞死。恐怖、そして恍惚。


ところで僕の中で、ジャズは、背景音楽的要素を多分に内包していた。

Fred Astaireのステップと、雪景色と、バーカウンターと、革靴とタキシードと、絨毯と、ウヰスキーと、京都と、鴨川と、その他あらゆる僕の内臓に染み着いた記憶と、そしてあなたと。

実家。ルグランやガーシュイン、ビッグバンドジャズの流れる映画に浸り、風呂でシナトラを歌った。日曜の晩餐ではBill EvansWaltz for Debbyがよく流れていた。

京都。すべて。強い言葉であるし、恐らく事実ではないが、それでも僕のすべてだ。


雑な言い方を選ぶと、ジャズは愛しているとか憎んでいるとかそういう次元にあるわけでももはやない。好きか嫌いかもわからぬ。まず、ジャズの領域がわからぬ。ぼんやりとした、僕にある種の感覚を与える音楽の総体として、勝手に認識している。

ただ、僕の中にもあるだけなのだ。恍惚も苦痛も、笑顔も嗚咽も、ジャズに与えられてきた。記憶に心臓が押し潰されそうになることも多々ある。だが、それは、僕とジャズが接触してきたという、ただそれだけのことなのだ。

大学時代、仮初にもジャズ研究会に所属はしていたが、そこで僕が演奏者としての自我を形成できた訳でもなかった。ただ、僕の記憶や時間とジャズが、またしても重なっただけだったのかもしれない。


補足。ジャズについて語ることは、ジャズの潮流と共にある人々の反感を買う気がずっとしてきていた。私は己がジャズマンではないと感じている。知識も乏しい。

ただ、一人の人と音との関係というものをここに記したかった。赦していただきたい。



いつか、ジャズと訣別する日が来るのだろうか。そう思い続ける日々。



今朝はまだその時ではなかったようだ。

ジャズの静脈が、少しずつ息を吹き返している。


Carla Bley Trioを聴きながら。