酔記

美に殉死 愛の闘争

白銀色の電柱が数本、無造作に並ぶ、夜の雪原。当然星は見えない。

雲があるわけでもない。ただ、見えない。

五線譜の延長線上を、木靴で歩き続ける音に、恟々として草は踊る。

踊らされているとも言えよう。紅い絨毯の下に埋もれた生暖かい鉄球を踏みつけないようにそっと、足踏みをする訳だ。

如何にも寒そうな旋律だが、毛皮を脱ぎ捨て、ギリシャ彫刻のような肉体が、木靴で歩く。

遥か前方には海がある。岩壁を舐め回し、嘲笑っては飛沫を立てている。しかし、それもまだ見えない。見えない方が恐らく幸せなのだ。

あまりにもその低音が轟くので、大地の至る所に裂け目が生まれる。地中の虫をも断ち切る振動に、肉体は儚く揺れる。

嗚呼、なんて儚いのだろうか。

五線譜によって自分と大地が分断されていると信じているのだ。肉体に波打つ血流と、断ち切られた虫の亡骸とに、なんの差異があろうか?

生死について、その概念については著しく無知である。その肉体の内側に、消えそうな優しさの蝋燭をそっと抱きかかえて、ただ歩くことしかできないのだ。

天命を知るという言葉がある。垂れ落ちる蝋に青白い爪を近付けても、それは天命を隠すことにはならなかった。そうではないだろうか?

其処にもう在るじゃないか。そう呟く。なぜならば、蝋燭はいずれ短く消えてしまうからだ。肉体と気体とは、全く異なる色気を放つ。

つまり、美を形成する術もなく、緩やかに歩行するしかないということである。

だからといって、


「優しさを殺して」


とは、言えなかった。得たものを得ながらにして失い、惰性で横転してゆくやり方が気に食わなかったのだろう。

そこまで考えて、眠くなった肉体は、縮んで、膨張してゆく。沈む雪のように。