酔記

美に殉死 愛の闘争

Happy Birthday, John

水になりたい。強いて言うならば、烏賊や蛸なんかが良い。或いは猫。猫は可愛い。


自立と自己防衛、優しさと無関心の境界を見つけるのには甚だ苦労するし、その結果甲虫みたいな外骨格生物に変貌してしまうのは厭なのだ。

かといって内骨格生物も実のところ筋肉に大いに固められている。袋詰の鼠の遺体はどこからどう見ても液体にしか見えないように。骨もまた制限的だ。


昔剣道を齧っていた。八段とかの老人に力を抜けとやたら言われた。身体技術においては何かと脱力が叫ばれる。筋肉は脆い。脱力して初めて力となる。


優しさとは力である。これもまた一つの真実であろう。力。正負は問わぬ。優しさも愛も性も音楽も芸術も言葉も、そのエネルギー故に魅了されるが、大きな力はあらゆる方向に伸びてゆく。扱いに悩む、悩まねばならぬ。


最近は、こころの脱力を自分に説く日々を過ごしている。外骨格にも内骨格にもなりたくない。水。掴めない。しかし実体はある。水になるのもどうかと思う。


なりたいだのなりたくないだのの次元ではもはやないのだ。ただこころの力を抜く、それは鴨川で寝そべることにも近い。外骨格でも内骨格でも良い、泣きたければ泣けば良いし、笑いたければ笑えば良い。逃げたければどこにだって行けるし、本来的には何だってできる。今宵は街で踊ろう。

死にたければ死ねるのも事実だが、ジョンレノンが言うように、生きることに挑戦すること、これもまた魅力的なことだろう。水は決して掴めないのだから。あと君が死ぬなら僕は死ぬほど辛い。辛いなんてものじゃない。僕のエゴだがエゴだからこそ伝える。


重くなってしまった。もっと軽く、羽根のように脱力を。シャオリーじゃんとも思う。


動くのは時と風だけで良い。僕は僕だし君は君だ。ビールの名前のようになってしまったが、ここで筆を置く。


Happy Birthday, John Lennon.